12ミリを付けてないときはたぶんあまり考えずに撮っていて、自分でも意味がわからないような断片がフィルムの上にたくさん集まっている。露出はかなりバラバラだし、ピントは目測だしでかなりいい加減なものだけれど、それを時系列でここに上げてみる。バラバラのようにも見えるし、やっぱりなんか似ているような気もする。とりあえず今回はある一日の分。写真学校ってのはこういうことを延々やるんだろうか。

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これはこれでまぁ良いというかある種正確ではあるけど、こんなことだったらいっくらでも出来ることで、つまらない。解決した難点はあるけどそのことで取り逃がしているものもあるような。一つのやり方ではあるだろうが。
これを200枚やったらある種の面白さはあるだろう。けど、それは誰かがやったのを見るなら面白いってことで、自分でやるってのはどんなものか。そういうのってたぶん向いてないよな。

こないだ富士山に登ったんですが、その時の写真。夜登るのはなかなかタフでしたがようやく頂上に登りしばらく寒いのを我慢していると朝日が昇る。カタルシスっていうとつまらなくなるが、骨で感じました。美しい。
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変に意識してしまいそうで買わないでおいた北島敬三の
Portraits+Placesを買った。たぶんいまさら妙な影響のされ方はしないだろう。
やりたいことが基本的に違う、というかある意味で逆方向なので、なおさら写真家がテクニカルなレベルでどういう選択をしてこういう写真を撮っているのかはっきり見えるような気がする。色の潰し方にしても、光の扱い方にしても、たしかにそういう処理のしかたはあるなぁという感じで、言わば作品としてよりも事例として見えてくる部分がある。もちろん面白いと思って前から気になっていたわけだから、今でも作品としての興味はあるが、要するに他人がやってることです。
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読み返して恥ずかしくなってあわてて書き足しますが、僕のはもちろん作品とかそういうもんじゃない。ただそうやって写真を撮ることを介して具体的ななにかとの関わりを持ちたいということであり、またそうして得られた写真というものをまた具体的に見たいということでもある。それ以上のことは出来るだけオミットしたい。

道頓堀沿いの食い倒れの通りの端のほう。


もちろん、グリコのネオンを撮ろうと思ったのだけれど、意味があるとはとても思えない工事をしていて撮れなかった。道頓堀川両岸に遊歩道を造ってます。臭い道頓堀川だから良いのに。そんなヘルシーな街じゃないのに、八百八橋の水都なんて深く考えもせずにお題目を吹くからこういうつまらないことをやることになる。まぁいいけど、下の写真の観覧車は笑った。馬鹿馬鹿しく哀しい。

ひさしぶりの大阪で、いままでon the cornerのシリーズは全部東京だったけど、大阪で撮ったらどうなるか自分でも想像できなくて、ともかく思い当たるところしらみつぶしに歩いた。それでこれが多分今回のベストショット。奥行き感、立体感がある。道路の行方が人で隠れているけどあまり気にならない。ここでうまくいっているのは何なのか、ちょっと考えてみる必要がある。
以下見てわかる通り色は意図的に強く出してます。ネガのトーンを全部使うと軟調になり、その眠い絵を色で締めないと見れないというのもあるが、このスカッとした感じは夏っぽくてちょっと面白いのでしばらくこれでやってみても良いかもしれない。リバーサルじゃ出ない透明感がある。普通リバーサルのほうが抜けが良いって言うけど、これ見ると必ずしもそうじゃない。


大阪で路地と言えばなにはともあれこの法善寺横丁なわけで。法善寺横丁はほんとうは夜が良いんですけどね。下の写真脇入ったところの小さなドアを上がると不思議に気持ち良いバーがあった。まだやってるのか見るの忘れた。
東京の路地は長屋みたいな感じがあるけど、大阪の路地は町家であって、そこで商売をするのでなければ呑ましたり喰わしたりってイメージがある。大阪にももちろん長屋はあるが、それは関西独特の「文化住宅」ってやつで東京の下町のあれとはだいぶ違う。ともあれ大阪の町家ってのは道路に面してお店があって、たいていそれは二階建てで、上と下が別の店になっていることもあれば同じ店が使っていることもある。そしてその店の裏手に調理場なり在庫置き場なりがあって、そこがすまいになっていることも多い。うなぎの寝床式で、間口は狭いが一歩入ればそこにそれぞれの空気がある。そういうのが隣り合って一つのブロックとなり、そうしてその前に路地が出来て、条理をなす筋(スジ)に囲まれた大きな町割りのうちがわを埋め尽くしている。というようなことを、久しぶりの町を歩きながら実感していて、それは撮るということを介してやっぱりなにかに対面できたということじゃないだろうか。(しかしなんで吉田健一みたいな文体になったんだろう?)
まぁそういうこともあって、大阪でのon the cornerはあくまで番外編。アースダイバーじゃないけど、ぺったらな大阪の交差点と起伏のある東京の交差点はかなり違う。違うという事自体に面白さはあるが、まぁとりあえず僕の興味はそこにはない。

長い間放置されていた工事中のビル、駐車場として使われていたのは前からだが、下にカフェみたいなのが出来ていた。逞しいなぁ。前はまるで幽霊ビルだったけど、すっかり当たり前のような顔をしている。
中沢新一の『アースダイバー』が一部で話題になっているのを見て読んでみたんですが、これは本当に面白かった。身近な場所が突如として歴史的な厚みを持って見えてきてしまう。そして自分がそこを歩いていた時の記憶がさらにそこに重なり、不思議なことにその歴史的な境界上をなぞっていた自分に気がつき、その意味を考えざるを得なくなる。
で、それに刺激されて身近な場所をフォローしてみました。
まず、本村町貝塚。ここは都営アパートの片隅にある芝生の植わった斜面で、写真右のようなパネルが据えてある。その芝生をよくよく見てみると、たしかにアサリかなにかの貝殻がありました。それを手に取る時、要するに誰かがそこでそれを捨てたんだということに思いいたすわけで。

そして本村小学校裏の釣り堀。詳しいことは本に任すとして、以前から不思議な場所だなぁとは思っていた。このあたり道が複雑で袋小路の奥に突然釣り堀があるわけです。

そしてその付近の地形。「フィヨルド状」の地形という言い方がされてましたが、その輪郭がこの写真からうっすら見えるでしょうか。両脇が小高いところに低地が貫入しています。釣り堀は左の家の裏あたりになるのでしょうが、小高いほうに上がってぐるっと回らないと釣り堀には行けない。それは高地と低地の関係、お侍さんの副業というようなことと関係あるのでしょうか。

がま池。元麻布のど真ん中です。がま池を守れという立て看板があり、それでそれはどこにあるのよと思っていたのですが、本の写真で場所の見当がついた。多分ここだろうと思いつつコインパーキングに入って行くと、その一番奥、マンションの中庭のような位置にこの池はありました。まわりは住宅に囲まれ、写真のような段差によって完全に道からは隔絶されている。私有化されてしまったと言っても良いか。そしておそらくそのコインパーキング自体、池の一部を埋めて作られたものなんじゃないかと思います。

そして少し離れますがそのあたりの地形。なんとなく地形が見えるでしょうか。やはり両脇が小高く、低地が入り込んでいます。開発から取り残された、という言い方はちょっと抵抗があるが、そういう場所です。


ほとんど真上まで花火が広がるような位置で見ていたんですが、どうも無意味に広角でかえって寂しく見えます。視野一杯に広がるような感じが実際で、いずれにせよそのとき持ってた35ミリのレンズでは撮りようもなかったのですが。

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と同じ交差点ですけど。

どうもバタバタして不定期になってますが、また明日以降コンピューターから離れるのでまとめて。

新しい高層ビルですが、違和感ありますね。まわりと全然関係ないんだもの。影響でこのあたり変わっていくのか。それとも単に孤立するのか。

看板の迫ってくる感じとか雑踏の距離感みたいなのが逃げていく。もっとごちゃごちゃしてるはず。

なんでちょうどそのタイミングで車が出てくるんだよぉ。道が見えなくなっちゃったじゃん。

すごい速さで鉄骨が組まれています。一体どうなるのかさっぱりわからん。

シノゴのプロポーションで下を切ってみたがやっぱり落ち着くなぁ。縦行きはこの方が良いかもね。

ラティチュード優先で軟調にすると絵に冴えが無くなります。晴れた日の感じがしない。色も浅い。潰れない絵の良さはあるが、それが自然かと言えばどうも違う。リバーサルでちゃんと本当に欲しいところで露出見て、飛ぶところは飛ばして潰れるところは潰したほうが良いこともある。当たり前だわなぁ。

渋谷川。これ実はリバーサルの色を捨ててます。色が無いほうがきれいだった。ちょうど良いコントラスト。