
一ページ残していたやつ。
モニターで見る最高品質のモノクロってどんなものだろうね。鎌倉近代美術館でこないだ見た畠山直哉展ではモノクロを反転デュープしたシノゴフィルムにバックライト当てたのがあったけど、基本的にああいうものになるのか。環境光があるしあんなに黒は締まらないし、輝度も足りないのかも。
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モノクロプリントの濃度の幅はプリントに用いられるエマルジョンの種類に左右される。フィルムのエマルジョン、フィルムとプリントの現像薬品、引き延ばし光源の形式の組み合わせによって、シャドー、中間調、ハイライトのプリント上の描写が決まる。これらの要因によって、グレーの諧調が何段階見分けられるかが決まり、トーンが圧縮されるのか強調されるのかが決まる。
右ページはリチャード・ベンソンのプリントを複写印刷したものだが、きわめて広いトーン幅と繊細かつ明確な美しいシャドーの諧調分離が両立している。オリジナルはアルミニウムの表面にアクリル塗料を印画したもので、ネガに定着された8つの中間調を十分に生かしている。*p.24,
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うりうりがうりうりにきてうりうりきれずうりうりかへるうりうりのこゑ
以下で本文は終わり。一ページ残してたのあったからそれはまた今度。
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私が写真を撮るとき、ものごとについての私の認識が私の心理的類型の型に流し込まれている。そして類型の型がその認識によって微妙に変化していき、結果的に写真を撮るときの様々な選択に影響を与える。(その影響を介して)その類型の変化は逆にものごとの認識自体を変化させていく。こうしたことが次々に起こっているのだ。それは動的で、自己修正するプロセスであり、工学の専門家がいうところのフィードバック・ループである。
写真を撮るということはこの意味で、観察と理解、想像と意思の間の、複雑で連続的で自然発生的な相互作用なのである。p.132,
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写真と文字とを重ねてるけど、比喩としてはわかりやすいにしても、やや乱暴な気がする。
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心理的類型化
心理的レベルは、写真家のその写真に関する心理的な組織(ゲシュタルト)に由来する。写真家が撮影するときにはなんらかの心理的類型化が心の内に抱かれている。ものごとの本質を見抜く洞察力や、写真家の固定観念、あるいは柔軟にものごとを理解する能力からそうした類型化は導き出される。
極端な場合には、それまでの経験から蓄積された固定観念に束縛されてあまりにも頑迷に硬直した類型化がなされ、写真家はその類型化にうまく合う主題や構図しか捉えることが出来なくなる。沈み行く夕日のような決まりきった主題しか許容できない心理的フィルターに初心者が捕われてしまうことはありふれたことだ。その対極においては、類型化は柔軟かつ自由闊達であり、新しい認識に適応し対応しようとしている。
多くの写真家にとって、類型は無意識に作用している。しかし類型に意識的になることで心理的類型化と心理的レベルをコントロール出来るようになる。
以前私はあなたとあなたの目の前のページの間にある空間を意識してみるよう促した。そうすることであなたの心理的なモデルに変化が起こる。さらに意識的になることでこうした意識はさらに拡張できる。例えば、椅子に座っているあなたがいて、その椅子の背はよりかかるあなたの背中を押し返している。あるいはあなたのいる部屋の音の状態をこの意識に合流させることもできるだろう。そうして意識を拡張していくたびにあなたの意識には変化が起こり、あなたのおかれている状況に関する心理的類型化も変質していく。あなたはこの本を読んでいて、この文字を見ている。この文字とは、結局のところ紙の上のインクである。インクがこれらのおかしな小さなシンボル(アルファベットのこと)を描き出し、心理的レベル上の意味が伝達される。読み進めるごとにあなたの写真を理解する枠組みは変化して、さらに写真の基本的性質を深く考えるために読み進めていくのだ。p.117,
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また翻訳一回休み。

これは工事現場を囲うフェンスの上に手を伸ばしてあてずっぽうで撮りました。
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ゲイリー・ウィノグラントの動きや時間を切り取ることへの完璧に明晰な意識が、ベンチに座った人々が戯れている様をきわめて魅力的なものとしている。写真家の注意の質と強度がこの写真(World's Fair, New York City, 1964)の心理的レベルに深く刻印されている。たまたまこんな風に撮れたりはしない。
写真の内容と組織化を定めるために、写真家の基礎となる形式上のツールは、視点、フレーム、ピント、そして時間である。写真家はこれらをいかに決定するかを意識的に統御しなければならない(意識的にそうするか、あるいは直感的にそうするか、あるいは機械的にそうするか、といったように)。写真家の明晰な意識のもとでこれらは決定され、それが写真の心理的な組織、つまり視覚的ゲシュタルトを組み立てる。
例えば、あなたとあなたの見ているこのページのあいだにある空間を意識してみてほしい。あなたの意識と認識にはなにか変化が生じたはずだ。こんな種類の認識上の変化や心理的イメージの変質が、写真家においては、写真を撮るときの形式上の決定に影響を及ぼすのである。p.110,
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下に訳したこのパラグラフはちょっと変な感じがする。情緒的説明すぎて。結局これはコントラストをどうコントロールしたかというテクニカルな話じゃないんだろうか。しっかりしたコントラストの部分と浅いコントラストの部分が隣り合うと、浮き上がるような画面の抑揚が付くっていうような。
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ウォーカー・エヴァンスのこの写真(Gas Station, Reedsville, West Virginia, 1936)を見るとき、写真に描かれた空間の遠近に応じて心理的なピントが移動するはずだ。
画面の他の部分と比較しながら、空をよく見て欲しい。
アダムスのドライブ・イン・シアターの写真において空が実際より手前にあるように見えたのに対して、この空は写真の画面から浮き上がりあたかも別の面にあるように見える。さしずめ別の写真から切り抜いてきてコラージュされたかのように。こうしたコラージュのような見え方は、写真家が画面の部分により集中した意識を持ち、ある部分に鋭く、明晰かつ緊張した意識を注ぎ、その他の部分にそうではないときに生まれる。p.108,
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今日は翻訳なし。
おばあさんまでほんの2メートルちょいぐらいの距離だと思うけど、ほんとはもう一歩なんだろね。ちょい手前が坂になって視点が高いのもラッキーでした。
SWCの画角がちゃんと埋まるこういう状況って滅多にない。アイストップより背景が強いのが好きな僕にとってはトリミング前提と割り切っちゃえば俄然使えるカメラなんですが、フルフレーム使い切るのはむつかしい。

どっちかというとこれはピントが動く方の写真だろう。奥行き感の差がモニタ上で感じられるようにするのはなかなかむつかしい。
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描写された空間の奥行きの深さにも関わらず、心理的レベルにおいて奥行きの浅い写真がある。その場合、目のピント移動はほとんど感じられない。p.100,
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心理的レベルは描写レベルと区別されるものではあるが、描写レベルにおける視点の選択(どこから写真を撮るべきか)、フレーミング(なにが写真に含まれているべきか)、時間(いつシャッターをリリースするか)のような形式上の選択によって心理的レベルは規定されている。極端に狭い路地の突き当たりにある真っ暗な戸口にピントを合わせることで、トーマス・アナンは心理的なピントを画像の閉塞した空間を通り抜け引き寄せるようにしている。ピントは描写レベルと心理的レベルを結びつけ、レンズのピント、目のピント、意識のピント、心理的なピントは連携している。p.98,
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やっぱりpictureとphotographはきっちり訳し分けなきゃいかんかった。「写真画像」と「写真」ですかね。
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心理的レベル
このページを読むとき、あるいは写真を見るとき、あるいは実世界のなにごとかを見るとき、そこであなたが見ているのは心理的イメージに他ならず、さらに言えばそれは心理的な解釈なのである。ポール・カポニグロのこの写真(デスバレー、カリフォルニア、1975)を仔細に見るとき目のピントは動く。しかし実際にあなたの目のピントが移動しているわけではないのだ(平坦なページを見ているのだから)。その画像の心理的なイメージの中で、目の焦点が移動するような感覚をともなって、あなたの頭脳がそのピントを動かしているにすぎない。そこで動いているのはいわば心理的なピントとでも言うべきものである。
このページの紙面で反射した光が、眼球のレンズによって集められ、網膜上に像を結ぶ。網膜は電気的な刺激を視覚神経に送り大脳皮質に届ける。そして脳がその刺激を変換し、心理的イメージを組み立てる。
驚くべきことにこうした能力は後天的に獲得された能力なのである。生まれつき盲目だった人が視力を回復しても、最初は単なる光を知覚することしか出来ない。心理的イメージを組み立てるための能力を身につけなければならないのだ。
写真画像は心理的レベルにおいて現れる。心理的レベルは描写レベル---つまり、何をその写真が見せているかとおそらく表裏一体のものだが、その単純な反映ではない。描写レベルから受ける知覚は心理的レベルにおいて、より精巧に、より純粋に、より緻密になる。ある写真画像により把握される心理的イメージの基本的枠組みは、写真の心理的レベルにおいて与えられる(同時に、ある写真画像を把握する"ための"心理的イメージについてもまた同様である)。p.97,
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66とはいえ、38ミリのf16でもやっぱ前景背景はボケてるもんね。
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ピント面によってもたらされる空間的なヒエラルキーの強調効果は被写界深度を深くすることで弱められる。しかしそれでもピントはある面にだけ合っていることには変わりなく、その前後の空間はより低いシャープネスで描出される。ピントが合った面には視線を引き寄せる引力のような効果がある。ピントが我々の注意を集中させることについて、常に意識的でなければならない。p.90,
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